2019年11月4日月曜日

丸森町災害支援(11月3日)

米沢社会福祉協議会主催の台風19号災害ボランティアに参加します。
今回は11月3日を皮切りに5回に渡ってボラバスが運行されますが、3日、7日、そして最終27日に応募しました。
今回は山形放送がピッタリと同行して一部始終を取材するという事で、既に撮影取材が始まっています。
出発セレモニーが行われ、全然入ってこない激を飛ばされて現地に出発です。
派遣先は東北でも甚大な被害を受けた宮城県丸森町です。

本日の参加者は職員2名を含めた13名の参加者でした。
高校生4名が自発的に参加していました。昨年倉敷で一緒に活動した方も2名参加されていました。
社協では大型バスも所有していますが、人員的に中型バスで移動します。
車いす用に後部にスペースがあるので、スコップ等の資材が積めるのが何かと便利でした。
米沢市からは自動車専用道を白石ICまで災害措置で無料で移動しました。途中の国見SAでトイレ休憩です。
折しも3連休の中日とあって行楽客で混雑していました。
丸森町地内にはいってくると、今般の元凶になった阿武隈川を渡る事になりました。
今はこんなに大人しいのに一時牙をむく様は、我家のクルミ嬢を彷彿させます。
至る所に自衛隊の車両が駐車しているのを見ると被害の甚大さを感じます。
浸水して機能を完全停止してしまった丸森町役場です。
ここを見ても、完全に覇気を失っている事を感じます。
その役場近くにあるボラセンター前では既に自衛隊諸君が地道な作業を開始していました。ご苦労様です。
その後方にあるグランドには、今般発生した災害ゴミが積まれていました。
今回派遣された先は、ボラセンターから2キロほど離れた八巻さんのお宅です。
伺った話では、夜中11時に急激な増水により2階に垂直避難をして難を逃れたそうで、1.3mまで増水したものの翌日早朝には水はひいたそうです。
現在ライフラインは復旧しているものの1階での生活は困難になっています。
目前には阿武隈川支流の五福谷川があり、この河川が氾濫して被害を受けたそうです。
橋が崩壊して急ピッチで復旧作業が行われたいました。

既にご自宅の畳は撤去され、床板も外され床下があらわになっていました。
そこに見えたのは、流れ込んだ高さ20cmの汚泥です。
これらを撤去するのが、本日のミッションです。
床の梁が残っている中での作業は、スコップも自在に動かせず苦労の極致。
すくった汚泥は、ポリバケツに移して手渡しして搬出という、完全人海戦術で進められました。
この汚泥は粘土質で粘りが強いので、大量にすくうのが困難でした。
大物汚泥が無くなっても、小規模汚泥をどうするか思案のしどころでした。
屋内作業でしたが、幸いにも気候が落ち着いている時期だったので、熱中症の心配も皆無だったのが幸いでした。
この手の作業では、土嚢袋に汚泥を詰め込んで搬送という作業がこれまで主流だったのですが、行動が制限される屋内作業に土嚢袋ではかえって負担が増加します。
目いっぱい袋に詰め込んでしまって、運び出しに甚大なエネルギーを使います。
昨年の戸沢村水害では土嚢袋の運び出しでガラスの腰を痛めましたからぁ
今回は、自宅前に土嚢袋なしで山積みにするという事で体力負担が軽減できました。
このやり方ベストです。
ボラセンター近くに戻って、昼食を終えてから歩数稼ぎを兼ねてボラセンターまで歩いてきました。
この建屋はどこぞの店舗を流用しているとは思っていたのですが、形状に見覚えがあるのですが思い出せません。
帰ってから、ストリートビューを確認したら・・・
ツルハドラッグでしたぁ
そして、ボラセン前のグランドには災害ゴミの山
水没した家電品が行き場もなく廃棄されています。
午後からの作業は、大方午前中に片付いたので仕上げの作業を行いました。
作業中に女子高生2名に話しかけたら米沢中央高校のJRCボランティア部のから自発的参加でした。
同女2名と男子大人3名のクルーで作業しましたが、彼女たちの作業の素晴らしさにリスペクト。
無駄口もせず、一番泥にまみれて細かい作業をこなしてくれました。素晴らしいの一言でした。
午後になって重機が入って、御自宅前に積みあがっていた汚泥を回収して、作業も終盤を迎えました。
過去、色んなボラ活動を行ってきましたが、久方ぶりに完結感を実感した活動だったと思います。
一連の充実した作業を終え、連休の混雑を考えたら遅れる事も想定したのですが、ピッタシ18時の予定時刻に戻ってこれました。
次回参加は4日後11月7日です。
恐らく、次回も泥揚げと想定されます。普通サイズのスコップが大量投入されましたが、作業品質を考えたら小型スコップが必須と痛感しました。
次回は小型スコップを持参したいと思います。

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