電車に乗ってやってきたのは山形市。
電車に乗ったのは1年ぶりかも。
駅から歩いてやってきたのは、今夜の宿泊先になる七日町ワシントンホテル
先ずはここに荷を下ろして一休みしてから今日の目的地に出陣です。
今夜は前職で御一緒してきた○部さんと前々職でも一緒だった△瀬さんと鎮魂の宴を予定しているので素泊まりプラン最安価な喫煙シングルルームを確保しました。
以前鶴岡市の同ホテルに出張で泊まった事があったのですが、その時同様に室内のしつらえがイマイチなんですねぇ
寝るだけだから我慢しましょう・・・
という事でやってきたのはホテルから歩いて数分にある旧県庁だった文翔館。
ここに足を踏み入れるのは小学4年当時の社会科見学以来です。
震災から5年目の節目を迎えてた3月11日、前述の前職各位からの誘いもあって山形市の追悼集会に参列する事にしたものです。
米沢市でも開催されますが、こちらは抽選会をやったりして追悼とは思えないお祭り臭さがあってこれまで敬遠してきました。
一方の山形会場は規模は小さくても、追悼の思いを強く感じます。
オープニングセレモニーは県議会が開催されていた議場ホールです。
一般的なホールよりは相当小ぶりですが、何といってもしつらえが重厚なので歴史をビシビシ感じます。
吉村知事は原稿なしの挨拶でしたが、いささかグダグダ感が・・・
一方の佐藤市長は原稿棒読みは如何なものでしょうか?
両者とも震災から5年を経過してしまうと、どうしても儀礼的な挨拶文言が繰り返されてしまう様です。
この後に続いた郡山からの避難者家族の挨拶は山形へのお礼の言葉がちりばめられていて、感謝の気持ちが伝わってきます。
飯森範親指揮による山形交響楽団によるレクイエムによりセレモニーを締めくくってくれました。
議場を出ると、あの日と同じ雪が降っていてさながら涙雪だったのでしょうか・・・
その雪によって路面が濡れてキャンドルも幻想的趣きを醸し出してくれていました。
月日が経てば震災の風化が進んでしまうのはやむ負えないのかもしれませんが、長男君の被災経験を忘れる事無く記憶に留めていきたいと強く感じた集会でした。
以下さくらんぼテレビの報道より引用
電車に乗ったのは1年ぶりかも。
駅から歩いてやってきたのは、今夜の宿泊先になる七日町ワシントンホテル
先ずはここに荷を下ろして一休みしてから今日の目的地に出陣です。
今夜は前職で御一緒してきた○部さんと前々職でも一緒だった△瀬さんと鎮魂の宴を予定しているので素泊まりプラン最安価な喫煙シングルルームを確保しました。
以前鶴岡市の同ホテルに出張で泊まった事があったのですが、その時同様に室内のしつらえがイマイチなんですねぇ
寝るだけだから我慢しましょう・・・
という事でやってきたのはホテルから歩いて数分にある旧県庁だった文翔館。
ここに足を踏み入れるのは小学4年当時の社会科見学以来です。
震災から5年目の節目を迎えてた3月11日、前述の前職各位からの誘いもあって山形市の追悼集会に参列する事にしたものです。
米沢市でも開催されますが、こちらは抽選会をやったりして追悼とは思えないお祭り臭さがあってこれまで敬遠してきました。
一方の山形会場は規模は小さくても、追悼の思いを強く感じます。
オープニングセレモニーは県議会が開催されていた議場ホールです。
一般的なホールよりは相当小ぶりですが、何といってもしつらえが重厚なので歴史をビシビシ感じます。
吉村知事は原稿なしの挨拶でしたが、いささかグダグダ感が・・・
一方の佐藤市長は原稿棒読みは如何なものでしょうか?
両者とも震災から5年を経過してしまうと、どうしても儀礼的な挨拶文言が繰り返されてしまう様です。
この後に続いた郡山からの避難者家族の挨拶は山形へのお礼の言葉がちりばめられていて、感謝の気持ちが伝わってきます。
飯森範親指揮による山形交響楽団によるレクイエムによりセレモニーを締めくくってくれました。
議場を出ると、あの日と同じ雪が降っていてさながら涙雪だったのでしょうか・・・
その雪によって路面が濡れてキャンドルも幻想的趣きを醸し出してくれていました。
月日が経てば震災の風化が進んでしまうのはやむ負えないのかもしれませんが、長男君の被災経験を忘れる事無く記憶に留めていきたいと強く感じた集会でした。
以下さくらんぼテレビの報道より引用
5年前の東日本大震災の地震発生時刻に合わせて、各地で慰霊と復興を願う式典が行なわた。参加者は一日も早い復興に向けて、引き続き気持ちを一つにしていくことを誓った。
黙祷。山形市の式典には市内で生活する避難者や避難者支援に携わっている人たちなど約100人が出席した。この中で佐藤市長は震災で得た教訓を次世代に伝えていくと共に、被災者の生活再建に尽力すると決意を述べた。この後、出席者全員が鐘を突いて、一日も早い復興を祈っていた。山形市民は「住み慣れた土地に帰れて、そこで普通の生活が送れることが一番」と話した。また会場には、11日の日を「避難先だった山形で送りたい」と訪れた人もいた。当時、南相馬から山形市に避難した女性は「(避難所で疲れたでしょ、大丈夫か寒くないかと声を掛けられた。あの時のみんなの笑顔…。私の宝だ」と話した。一方、米沢市では市民団体が中心となり、進めてきた追悼式が行わた。式には福島県から避難している人など約450人が参列し、涙ながらに黙祷する人の姿もあった。また式では参列者を代表して、米沢市の九里学園高校1年の高橋雅さんが「支援の終了を決めるのは支援する側ではなく、被災された人たち。被災者の気持ちに寄り添いながら、今できることを模索し続けていきます」と誓いの言葉を述べた。県によりますと今月3日時点で、約3400人が県内での避難生活を続けている。
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